November 22, 2007
実家の愛犬パッシーくんが他界 (ジョジョの日記はHPのジョジョのページにお引越ししました)
・厳寒の地からやって来たエンジェル逝く昨日午後3時ころ実家の母から電話があった。なんだか様子が変だ。何を言いたいのかよくわからない。 はじめは母の具合が悪いのかと思った。しかし、ようやく冷静になって話し始めた母の話を聞くと、パッシーくんが前夜発作を起こし倒れたという。
パッシーくんというのは13歳のシーズー犬。もともとパッシーくんは姉一家が夫のモスクワ赴任についてモスクワに在住中家族の一員になった。そして一家の帰国とともに日本にやってきたのだ。当時日本では珍しかった体の8割の毛が黒色のシーズ―犬。厳寒のモスクワから10時間も空を飛んでやってきて、10日間の検疫にも耐え抜いた頑張り屋で元気いっぱいのワンちゃんだった。
しかし日本での生活は大好きな家族と離れ、私の母との2人(?)の暮らしになった。というのは姉一家の住むマンションはペット不可だったためパッシーを飼い続けることができなかったのだ。そのころ実家の母は9年暮らしたシェルティー犬のフォルテくんを亡くしたばかりで、大喜びでパッシーくんを受け入れた。
それからおよそ8年。パッシーは3年ほど前から心臓を悪くして、薬を飲み続けていた。激しい運動は禁止されていたのだが、いつ見ても軽く1時間は散歩をしていた。(うちのジョジョとは大違いだ!)
毎年夏が来ると「今年の夏を超えられるかわからない」と言われながらも、今年の猛暑も何とか、いや元気に乗り切った。それがこの数週間急激に寒さが厳しくなり、容体が急変したのだ。
母は私に甥っ子、姪っ子、姉の携帯にメールをしてみんなを集めてくれと言いたかったのだ。携帯を持ってはいるがあまり慣れていないせいか、もし忙しい時間に皆の携帯を鳴らしてしまったら悪いからメールにしたかったそうだ。(私は忙しくてもよいのかよ!)
私からのメールを見て甥っ子がすぐに実家に向かった。私もジョジョを連れて向かった。パッシーの容体は一進一退で甥っ子がつくと起き上がって喜んだという。私とジョジョがついた時にはジョジョに向かって先輩らしく「ワン!」と吠えた。
しかし、しばらくするとだんだん力がなくなってソファに寄りかかって、そのうち横になってしまった。
8時ころ姉が来た。パッシーはやはり起き上がって姉を迎えた。しかしすぐに横になってしまった。
私たちは9時過ぎに実家をでた。何かあったらすくに連絡をしてと母に伝え、後ろ髪を引かれる思いだった。
今朝5時10分(母が確認した)パッシーくんは天使になって大空へ飛びたった。母はほとんど眠らず付き添っていたようだ。
母は姉と相談して、パッシーくんはフォルテと同じ霊園の共同墓地に入ることになった。私とジョジョも駆け付けた。姪っ子のなっちゃんは朝からずっと泣き続けたいた。
姉一家の子供たちにしてみれば不安の多い海外生活の中でともに育った兄弟のようなパッシ―くんとの別れだった。日本では離れて暮らしていたが子供たちはパッシーくんに会うためよく実家を訪ねたという。パッシーくんはみんなの心を癒してくれた。みんなを元気づけてくれた。これからは空の上から皆を見守ってくれることだろう。 パッシーこれまでありがとう。天国でもたくさん歩いてね。
パッシー (シーズー犬 モスクワ生まれ 享年13)永遠に!
・ペット扶養手当
動物の医薬品を扱う製薬会社「共立製薬」では、ペットを飼っている社員に対し今年12月1日から「ペット扶養手当」を支給することになったという。
今やペットの数は15歳未満の子供の数より多いのだそうだ。 ペットを飼う人のほとんどがペットを家族の一員だと考えている。私のように犬バカと言われるものに限らずペットを子供同然に育てている人も少なくない。
「共立製薬」の取り組みにバンザイ!だ。
・パッシーが教えてくれた「生命」
今回、甥っ子も姪っ子もジョジョも「生命」の最後に立ち会った。(本当の最後の瞬間は母だけだったが)
そこには人と動物に何ら違いはなかった!
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