May 30, 2012

もうすぐ梅雨入りかなぁ

私の愛する季節「夏」を迎えるには「梅雨」を絶えなければなりません。私にとってはツラーイ季節なのです。
が、もう随分前のことになりますが、事務所の先輩だった堀勝之助さんが「雨の日が好きだ」「梅雨時がいい」と話してくれたことがありました。理由は「適当な湿度でのどの調子がよいから」だというのです。確かに乾燥した季節よりも湿度が高いとのどが渇かずお声が出しやすいということはありますね。
でも、私は太陽がないとダメなのです。浅香光代先生の言葉を借りると「おてんとさん」ってことです。
人が暑さでバテバテになっていても私は元気に炎天下に飛び出してしまうんです。おてんとさんの光を浴びるとホント幸せ。
「美白」「紫外線防止」なんてどこ吹く風ってとこですね。

それにしても最近の紫外線対策グッズってすごいんですね。
まるで仮面舞踏会かイスラム圏の女性のような被り物なんですもんね。白い肌のために人目も気にしないという女性たちの姿勢には、私も同じ女性として驚くばかりです。ま、小麦色の肌にあこがれて散々焼いてきた私には今さら「美白」なんてね。

さぁーて、今年の夏は  
あまり暑くならないような予報ですが、節電を考えるとありがたいことでしょう。

そしてW杯最終予選が始まります。
先週のアゼルバイジャン戦は久しぶりに圭介くんが戻ってきてパス回しも理想の形が見えてきたように思いました。後はヤットさんが加われば完璧!かなぁ。(ガンバ 頑張れ!)

香川くんが敵のマークをどうかわしてくれるか?も見ものですね。
(香川くん マンチェスターかぁ! すごいね)

しっかり応援します!!



May 16, 2012

ペンギンくん

3月4日に葛西臨海水族園から脱出したフンボルトペンギンの幼鳥がお台場近くの東京湾で発見されたというニュース。

まだ子供だと聞いた時は絶対に生き延びることは難しいだろうと思っていただけに、間違えなく脱出したペンギンくん(男の子か女の子かわかりませんが)だと聞いて思わず拍手してしまいました。

よく頑張ったね!ってニュースの映像に釘付けになっていると、そこに写った姿は何だか自由な生活を楽しんでいるようでビックリ。

フンボルトペンギンというのは比較的暑さに強い種で、海岸の洞窟などに巣を作って海でエサをとっているのだそう。
ということは 脱出ペンギンくんも東京湾岸のどこかに巣を作っているのでしょうか?
フンボルトペンギンでなければ生き延びることは難しかったでしょうね。

我が家は葛西臨海水族園と今回発見されたあたりのちょうど中間のベイエリアにあります。なんだペンギンくんったら、うちの前を通ってあちこち遊びまわっていたのかしらね。

捕獲は失敗、今なお自由を謳歌しているというペンギンくんですが一人ぼっちじゃ寂しいでしょう。
東京湾で友達できたかなぁ。かもめとか?

夏になると屋形船やクルーザーも頻繁に行き来するようになる地域ですからその前に家族のもとに返してあげたいですね。

水族園に戻ったら家族や仲間たちに武勇伝をいっぱい聞かせてあげるのかな? 

好奇心旺盛なペンギンくん 無事戻れるよう祈っています!!!

May 09, 2012

友人のお見舞い

わたしよりちょっとお姉さんの真知子ちゃんが入院しています。
ずっとずっとお見舞いに行かなきゃと思いながらなかなか伺えずにいました。
で、きのうお仕事の後訪ねました。

真知子ちゃんは癌に侵されています。
3年ほど前に再発しました。その2年くらい前に乳がんが見つかり手術で片方の乳房を取りました。
その後はすっかり元気になり いつものおしゃれ真知子ちゃんだったのですが恐れていた再発。

抗がん剤治療を繰り返しながらもワンちゃんとの生活を楽しんでいました。
次の抗がん剤治療が終わったらディズニーシーに行こうね、って2年も前に約束をしながら実現できずに今日まで来てしまいました。
ずっと気にかかっていたのですが。

抗がん剤治療はとても辛いものです。患者にあった薬がすぐに見つかるというものでもないようで、精神的にも不安な時期が続いていたのではないかと思います。私たちもそんな真知子ちゃんを見ているとTELもメールも送りづらくなっていました。

ディズニー行って、IKEAで買い物して、COSTCOにも行って、いっぱい予定を立てていたのに何もできませんでした。
真知子ちゃんが元気な頃仲良し3人で買い物に行って、私のステーションワゴンに積みきれないほどの買い物をしたっけ。
私たちの買い物に車は必須です。仲間内で車を所有しているのが私だけなので、私が「GO!!」って言えばよかったと、今となっては。

真知子ちゃんの容態を時々教えてくれていたむぎちゃんから連絡があったのが1週間ほど前。
「真知子ちゃんがもう起きられなくなった」ということでした。
謝らなければいけないことが沢山あります。

真知子ちゃんはとても穏やかな表情でした。すっかり痩せて40kg
もないのだと言っていました。お顔も目ばかりが大きく見えました。もともと目元のはっきりした方ですがそれ以上に。

私の顔を見ると喜んで手を伸ばしてくれました。私はずっと手を握ったまま話をしました。
真知子ちゃんは私やむぎちゃんの心配ばかりしていました。
「夏まで生きていられないと思うのよ。もうあなたにも会えないとあきらめていたんだけど、来てくれてありがとうね。嬉しいわ。」

「いっぱい思い出作ろうね」って約束したのに守れなかったことを私は謝りました。「いいのよ、最後にこうして会えただけで」真知子ちゃんは私の手をしっかり握ってくれました。

どう声をかけたらよいのか適当な言葉が見つかりませんでした。真知子ちゃんは今以上に容態が悪くなったら家族以外の人とは会わないだろうと言っていました。弱った姿を見せたくないと。

そして最後の時を迎えたらお姉さんのところで荼毘に付し、その後はご実家のある仙台に戻ると話していました。

まだ話もできるし記憶もしっかりしているのに、真知子ちゃんにとっての未来は自分の亡き後のことでしかないなんて、信じられないし、信じたくない。でも、真知子ちゃんはしっかり受け止めているようでした。

1年くらい前に「死ぬのは怖い」と言っていた真知子ちゃん。
誰にでもいつかは訪れるその時をベッドの中でじっと待つだけの日々を過ごしている真知子ちゃん。

10分くらいの面会でしたが、私たちにとってお姉さん的存在だった真知子ちゃんは大切なことを沢山伝えてくれたと思いました。

「もし元気になるようなことがあったらまたどこか行こうね」
真知子ちゃんはそう言って、ずっと手を振りながら私を見送ってくれました。

真知子ちゃんがもう苦しむことのないように。
そう願うばかりです。