October 16, 2007
憧れだったあの人が亡くなったって。(ジョジョの日記はHPのジョジョのページにお引越しました。)
・私の青春のひとコマがこんな形で蘇った。今日夕刊を読んでいてある記事が目にとまった。「追悼抄」と題された記事に「佃正樹(52)」とあった。この名前.......。
1973年甲子園を沸かせた広島商業高校のイケメン投手である。記事によると、彼は8月13日食道がんで亡くなったとあった。
あの佃君だ!!選抜でかの江川に投げ勝って準優勝。そして夏の甲子園で念願の優勝旗を勝ち取ったのだ。
江川よりも佃に決まってる!
江川人気で注目度の高かった大会で、その中では地味な選手だったかも知れないが、女子中高生は佃くんのクールなイケメンを見逃してはいなかった。私もそのひとり。もともと野球好きの私は毎週ベースボールマガジンを買い、高校野球のある時はその特別号を買った。私のお小遣いのほとんどが、野球関係のもので消えていった。だから1973年は当然佃君だらけになっていた。
我が家は父が熱狂的巨人ファンだった。高校野球も欠かさず見ていたが、父は関東地区の高校、もう少し広げると東日本の高校しか応援しなかった。そんな中で広商の佃君がいい!とはなかなか言えずにいたことを覚えている。
きっとプロに入って活躍してくれると思っていたが、彼は法政大学に進んだ。1年生に入ったばかりの大会は、私も結果が気になったが、結局目立った活躍をしないまま彼の名前を聞くことはほとんどなくなった。
佃君とバッテリーを組んでいた達川君はその後広島カープで活躍したが......。達川選手を見るたびに佃君のことを何となく思い出していたが、法政卒業後の彼の動向は全く分からないままだった。
・早すぎる死。でも人々の記憶にはしっかりと!
そんな佃君が亡くなった。52歳という若さで食道がん。
30年以上も前の私が蘇った。正直言って、佃くんの顔はほとんど覚えていない。記事にあった50歳代の彼の写真を、こんな顔してたんだってしみじみ見た。
夏の甲子園での決勝戦を見ていた私は佃くんの投げる一球一球を打たれやしないか、怖くて見ていられなくて、彼が投げるたびに目を閉じ耳を塞いでいた。そんな私を見た父がそれじゃ見てる意味ないって言ったことを思い出した。
30年以上ぶりにやっとわかった憧れの人の消息は彼の死によるものだった。
ご冥福をお祈りいたします。
そして、あの熱い夏のことは忘れません!ありがとうございました。
・頭は大人、心は少年、エコおじさん、失礼!エコお兄さん
実は、今日は自然エネルギーで動く車で冒険をしちゃう「頭は大人、心は少年」っていうエコお兄さん?の一人に会ったよ!っていうお話を書こうと思っていたのだが、ちょっと佃くんのことがショックだったので、「頭は大人、心は少年」は次回のお楽しみにさせてください。(なに予告してんだって? 本当だ!)
・亀田一家に処分、18歳の将来
一家に下された処分に重いの軽いのさまざまな意見があるが、協会も18歳の大毅には一応将来を考えた処分だったと思う。
大毅はまだまだ出直すチャンスはあると思うよ。
本当にボクシングが好きなら、気持ちを入れ替えて戻って来い!!
その時の世間の風当たりに耐え抜くだけの精神力も養ってくるんだよ。でも、もう自信がなくて、卑怯な方法に逃げようなんてj考えるんだったらやめちゃいな!
ガン飛ばして迫力で勝ったつもりでいたって、そんなもん通用しないんだから。もっと人としての修行が必要かもね。
まっ、頑張って!
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