January 06, 2008

明日は七草

・改めまして 「あけましておめでとうございます!」
 と言ってももう明日は七草。新年からあっという間の一週間だった。「年を重ねるごとに一年が短く感じられる」とよく聞くが、私はこれまで一年が早いと感じたことはない。一年は一年、早くくもなければ遅くもない。
 しかし、この一週間の早さを思うと私も今年はいよいよ 「一年があっというまだった」なんて言ってしまうことになるのだろうか?

・新年の挨拶は携帯電話で! 当然でしょう!
 昨年の大みそか、紅白歌合戦が始まる少し前、TVのニュースでこんなことを言っていた。
「新年は携帯電話の回線が混み合うため使用を控えて欲しい」
これは数社の携帯電話会社が発表したコメントだが、これを素直に聞いた人はどれくらいいるのだろうか?

 そもそも携帯電話とは「いつでも どこにいても」通話ができる、というもの。特に新年のあいさつなどには便利なものだと思っていた。例えば、初詣の長蛇の列の中に挟まっていても故郷の両親に「おめでとう」が言える。どこで新年を迎えたかわからないような子供たちにもせめて「おめでとう」くらいは言える。旅行中の人にも「おめでとう」が言える。

 携帯電話が誕生する以前には不可能だったことが、この文明の力作によって可能になり、人々の心と心をつないできた。にもかかわらず、その数が増えて、一斉に使われると容量オーバーになるから使うな(控えろ)とは、何のための携帯電話なのだ!!

 売るだけ売っておいてこんなことを言うとは、しかもNHKのニュースの一項目としてこんなことを言ってよいのだろうか?
足かけ2年、このことに腹が立った。


・選挙の年
 福田課長(失礼!総理)が、今年は消費者、生活者のための国にすると言ったが、この言葉に期待する人はどれくらいいるのだろうか?
総選挙も近い、と言うことは政治家はみな自分の政党を持ち上げるための活動をする。消費者でも生活者でもなく、政党のための政治であり、国なのだ。政治不信がどこまで募るのか? どんな方法で解消するのか?高見の見物には興味深い光景である。

 そういえば私の友人が「最近福田総理がフランケンシュタインに見えてきた」と言った。なるほど しぼんだフランケンだね。ちなみに私にはゴム製のかぶり物に見える。


・最近ちょっと耳にしたこと。
 ここ数年、企業などで働く人々の雇用形態には幾つものタイプがある。 中でもよく聞くのがドラマにもなった「派遣社員」
数か月ごとの契約で、更新を続け居座る人もいれば、何の情もないまま次の職場に簡単に変わる人もいる。

 私は遠い昔、ある有名メーカーのショールームで正社員として働いていた経験がある。ショールームということもあり、仕事の内容で男女の差のほとんどない職場だった。
 お客様相談窓口も兼ねていたため20歳そこそこの私たちは、いきなり電話で怒鳴られたり、脅されたり、それでも最後まで一人で処理しろ!と教育された。

 そんな経験のおかげだろうか?ワイドショーでどんな現場に立っても逃げ出そうとは思ったことはなく、どちらかと言えば向かっていくようになった。

 ところが最近流行りの「派遣さん」たちというのは、仕事に対する責任というものをほとんど感じていない人が多いようだ。
同じ仕事をしていても「社員さん」「派遣」と線引きされ、企業からの保障がない分責任を負わされることもなく、難しいことは社員さんにやってもらうものと割り切っているのだと言う。
多少のミスも2〜3か月で辞めちゃうんだから知ったこっちゃないってな感じなのだそうだ。

 一方社員にしてみれば、訳のわからない派遣に仕事を任せて失敗された日にゃ、あとの処理の方が手間がかかるからやらせない。それも一理あるね。逆にミスが発覚した時に辞めた派遣のせいにしてしまえばいいという利点あるわけだ。


・現代社会の象徴 派遣的姿勢
 どちらにしてもこんな組織の構造が、「いかに逃げるか」が大事な社会を作っているのではないだろうか?
潔さがなさすぎるよ!

 これは「派遣」だの「社員」だのに限らず、政治家や昨年の偽装発覚会社にも言えるのではないだろうか?

 
・リポーターは派遣スタッフのひとりだが
 私が長年続けてきたリポーターという職業は究極の派遣さんかも知れない。私たちは一つの番組の数分のコーナーを受け持っていたが、取材を受ける人々や視聴者から見れば、こんな私たちもテレビ局の人。
看板を背負って働く重さを常に感じていた。
看板とは時に重く、時に護身になるものだ。

「派遣」さんたちは企業の看板を感じることはないのだろうか?

なんて、とりとめのないことを今年も書いてまいります。
よろしく!!!